物事って
成功した事例よりも
失敗から学ぶことの方が多いのではないかな
「失敗は成功の基」ともいうしね、、、
多くの人が
今になって昨年を振り返り
『春も、夏も高校野球大会できたんでないの?』と、
思ったりする人も多いと思う
甲子園はね
球児の憧れであり、夢であるから
昨年の彼等には本当に可哀想な思いをさせた
そんなだから
感染者は増えている今年であっても
どんな形であれ、春の甲子園を開催する方向で進んでいるらしい、、、
それは
私たちの中で徐々に経験値が増えていることによる
昨年の春では
みんな恐れるばかりで
無観客とか、観客数の上限とか
様々の工夫さえも除外して「中止」を決めた
今年は
まず「中止」ありきではなく
「どうしたら開催できるか」のスタンスで物事が動きだしている、、、
さて東京オリンピック
この春先がリミットとなるであろうが
開催か、中止か、延期かの判断が下されるのだろうが、
その頃の日本の、世界の情勢を知っている者は一人もいないから
今、言うのは早いかも知れないけど、
「今年も出来ないのではないか?」「延期、中止にした方が良い」と
そのような声が圧倒的に多いそうだ
昨年と違い今年の延期は
東京オリンピックじたいの中止を意味するらしい
それはT2W以来の
オリンピックのなかった8年間の空白ができることを意味する
「世界」がそれを望むなら
そうするしかないかもしれないが、
まずは、「世界」を
「世界中の出場権利を持った選手たち」と
言葉を置き換えるべきではないかと思う、、、
もし開催すれば
1年間の経験と工夫で
たとえそれが前代未聞の失敗例になったとしても、
将来また同じようなことが世界を襲った時に
あの時の東京オリンピック2020の失敗が
活かされるときが来るかもしれない
人類がコロナ禍で
どんなスポーツの祭典が出来るか?
実験的な開催でいいからやってみるべきだ
「ここまでしかできませんでした」「ここまでできました」
参加しない国が多くても、選手が集まらなくても、
反対を唱える人たちがいても、
その中でできることはこれだというものをやってみる
(選手と関係者のみ入国許可、入国者全員にワクチン接種、観客は50%以下、など)
こういう状況ではここまでしかできなかったよって
その記録を後世に残すべきで
それが次につながり
人類の貴重な遺産になると思う
むしろ、そういう遺産を残せる唯一のチャンスが今年なのだ
失敗はカッコ悪いけど、
それが
それこそ意義あるレガシーになるんではないかと思うのだ、、、
オリンピック開催賛成はごく少数派で
このような言い方をすると
「私たちは実験台でない」とか「オリンピックより命が大切」という人が必ずいると思うけど
今のこの状況では、「どの口が云う?」と、言いたい
開催するという前提
そのうえ感染者を増やさないという前提で考えると、
ちょっとしたアイデアだけど、一石二鳥じゃね?
↓
オリンピック期間中はむしろロックダウンして
人々は外に出ず会社の二週間休んで
みんなが家でオリンピック観戦してれば
むしろ今より感染者は出ないと思うんだよね
そういう発想も持ってほしいね、、、
(この場合は無観客での開催だけど)
(もしくはチケット持ってる人だけ外出許可)
(海外からの旅行者も入れない)
(道路も空いてオリンピック関係者の移動もラクになり)
(スムーズな運営が出来るよ)