アンリコには悪いが、
ロベールアンリコって
『こんな凄い監督だったっけ?』と唸ってしまうほどの
大傑作<ふくろうの河>
もちろん
<冒険者たち>にしても<ラムの大通り>にしても
<追想>にしても十分素晴らしい映画ではあるけど
それらの作品の以前に
より凄い映画を撮っていたんだね
なんでも
これを観たアランドロンが<冒険者たち>の監督に
アンリコを推薦したそうだ
『ふくろうの河』(仏: La Rivière du hibou)は、1961年制作のフランスの映画。日本では1963年に公開された。1963年アカデミー賞短編実写賞、1962年カンヌ国際映画祭パルム・ドール(短編)を受賞。オリジナルは3部作で構成されているが、『ふくろうの河』は3部(白黒、28分)。
ロベール・アンリコは、アメリカ合衆国の作家アンブローズ・ビアスの、南北戦争下の兵士と市民を描いた短編小説集『生のさなかにも』から3つの短編を選んでそれぞれ短編映画とした。第3部である『ふくろうの河』は「アウル・クリーク橋の一事件」を映画化したものである。
1964年にはアメリカのテレビドラマシリーズ『トワイライト・ゾーン』の第5シーズンで142話「アウル・クリーク橋の一事件」としても放送された。
南北戦争中のアラバマ州のアウル・クリーク鉄橋で、農場主ペイトン・ファーカーが、南軍に味方して鉄橋を破壊しようとしたスパイ容疑で絞首刑にされようとしていた。彼は残してきた農場や妻子のことを思いながら、もう一度家に戻れたらと思いを巡らせる。絞首刑が執行されたが、首を吊るす縄が途中で切れたためファーカーは川に落ち、そのまま逃げ出した。銃弾をかいくぐって川を泳ぎ、野山を走り、かろうじて逃げおおせたファーカーは、死に直面する前には思いもしなかったほど樹にも草にも鮮烈な印象を受ける。森の道をたどったファーカーはやがて一軒の家にたどり着く。そこは妻と子供が暮らす自分の家であった。
ファーカーが我が家に駆け寄り、妻を抱きしめようとした瞬間、強い衝撃と共にファーカーの体がアウル・クリーク鉄橋からぶら下がった。すべては処刑の瞬間に彼の強い願望が見せた幻覚だったのだ。
短編3部からなる作品だが
3部目を単独で出品したカンヌで短編パルムドールを受賞した
フランス人が描いた南北戦争
おそらく米国にロケに行かず
フランス国内で撮ったのではないかと想像する
1部目の最初10分間ほど
まったくセリフはなし
兵士が潜む森の中の緊迫が見事
その後も全編
極力セリフは少ない
<ビッグパレード>の森の進撃シーンや
<僕の村は戦場だった>の怪しい美しさを兼ね備え
もしくは
稲垣浩の〈宮本武蔵〉の導入部の合戦場のキャメラワークのようでもある
また
どこか溝口のキャメラのような動きは
溝口がヨーロッパの映画人に与えた影響
当時ヨーロッパで溝口がもてはやされていたことがよく分かる、、、
あんな綺麗な綺麗な森
こんな戦争映画、こんな南北戦争
米国人には撮れない
あくまでもヨーロッパのテイスト
いかにもフランス映画
1カット1カット
1枚1枚の画として観て見惚れるほど
今のフランス映画にもない世界観、、、
逆のことを考えると
たとえばアントニオーニは米国で<砂丘>を撮ると
それは米国の映画のようであり
ルノワールも米国で<スワンプウォーター>を撮れば
それは米国映画のようにしか観れない
大監督たちは何処の国に行っても
その土地のテイストで撮れてしまう
アンリコは
そっちに寄らないように
自分のテリトリーで撮っている、、、