題名が「ふしだらな女」っていうもんだから
どんなにイヤらしい女なのかと思う人もいるかもしれないが、
いざ物語が進行すると
「たいして、ふしだらでもないじゃないか」と
不満を口にする観客もいるかも知れない
でも、それは正しい映画の観方ではないんだよね
今の価値観や感覚で
今とはまったく違う感覚の
100年前の映画を語るのは愚かだからね
100年前の人間になったつもりで
映画を鑑賞しなくては正当な評価はできないよね、、、
物語は
肖像画を描いてもらっている妻と、その画家の関係を怪しんだアル中の夫とが離婚話になって、妻が不倫関係を完全否定するため離婚劇は裁判にまで及ぶことになる、、、実際に妻は不貞を働いてはおらず、夫の妄想でしかないのだが、裁判にまで及んだ離婚劇は民衆の大いなる興味の的となった、、、そして、想像によって事実認定がなされ、真実よりも妄想が事実の扱いを受けることになる、、、落胆し離婚する妻、、、想像、推測が推定無罪にはならない時代の社会構造、、、そして他人の目は厳しく「不貞を働いた、不倫の、ふしだらな女」として世間から好奇の目にさらされることになる女性、、、そして、傷心の旅に出る主人公の女性だが、旅先で一人の男と出会いプロポーズされる、、、男の猛プッシュに降参した女性は再婚し、大金持ちの彼の実家を訪ねることになる、、、しかし、そこで姑は長男の嫁に冷たい目を向ける、、、「この女には影がある」と、「どこかで見たことがある」と、「何か悪い印象だ」と、、、、そして、とうとうスキャンダラスな離婚劇の主役であったことに気づいた姑や小姑は女性に非難を浴びせる、、、女性はもともと許嫁だった女性に夫を譲るような格好で2度目の離婚を選ぶ、、、しかし、離婚が決まっても、もう下を向かない女性、「他人の目に左右されて生きていくなんてまっぴらだ!」とマスコミを前に高々と宣言する女性だった、、、
いつの時代も
人は他人の揉め事が好きだよね
今でこそネット社会で
不評被害、誹謗中傷が度々問題になるけど
ネットなんてない100年前でも
人々はスキャンダルには興味深々で
当事者に好奇の目を向ける、、、
とにかく、ラストがいいね
主人公の女性が
「真に自立した女」になった瞬間
周りに振り回されず
自分の意思に従う
あ、あのネルソンマンデラの名言が蘇る
我こそは
我が運命の支配者
我が魂の指揮官