「傑作」とか「名作」とかではなく
「映画史上の」とか「ベストとか」「生涯の」とか
その類の映画でもないが、
たまに、
偶然に出逢いたくなるようなタイプの作品
食べ物に
「辛い」「酸っぱい」「苦い」「塩っぱい」「甘い」があるけど
「旨味」ってのもあるんだよ、みたいな、そんな映画(かえって分かりにくい)
今ね
こんな時だから
ヨーロッパの人たちも
チーク/チークを寄せ合うハグの挨拶は慎む傾向にあるようだけど
そもそもあの挨拶にはアジア人的思考では抵抗がある
可愛い女の子とならいいけど
オッサン同士でもするでしょ
いくら仲いいっていっても
それ、いる?
挨拶が大袈裟なんだよね
そんな光景が
この映画には度々登場するね
ということは
親しい人との出会いの場が頻繁に訪れる映画なんだよね
こんなに、あの挨拶を見せつけられる(回数的に)映画を
今まで観たことがない
むしろ、そんな場面は省略しても
映画的には何も支障がないのだが
あえて見せてくるんだね、この監督は
この監督
ボクは最初「女性」だと思ってたんだけど
調べたら男だった
繊細って言葉ではなく
なんか女性らしい雰囲気、空気を感じるんだよね
優しいって言葉でもなく
包み込むような、、、あ!そ、ハグするような、、、
突然の悲劇で肉親を失った青年と少女の絆を描き、2018年・第31回東京国際映画祭で最高賞の東京グランプリと最優秀脚本賞をダブル受賞したフランス製ヒューマンドラマ。パリに暮らす24歳の青年ダヴィッドは、恋人レナと穏やかで幸せな日々を送っていたが、ある日、突然の悲劇で姉のサンドリーヌが帰らぬ人になってしまう。サンドリーヌには7歳の娘アマンダがおり、残されたアマンダの面倒をダヴィッドが見ることになる。仲良しだった姉を亡くした悲しみに加え、7歳の少女の親代わりという重荷を背負ったダヴィッド。一方の幼いアマンダも、まだ母親の死を受け入れることができずにいた。それぞれに深い悲しみを抱える2人だったが、ともに暮らしていくうちに、次第に絆が生まれていく。監督・脚本はこれが長編3作目のミカエル・アース。主人公ダヴィッド役はフランスの若手俳優バンサン・ラコスト。アマンダ役はアース監督が見いだしたイゾール・ミュルトリエ。
「Elvis has left the building/エルビス(プレスリー)はもうこの建物を出ました」
作中最初の方で母親が娘に
この言葉の意味を説明している
「もういないよ」「終わりだよ」
「待ってても無駄だからさっさと帰りなさい」って意味なのだと、
ラストシーン
あと1ポイントで試合が終わるといった局面でアマンダが泣きだす
ここではダヴィッド同様に観客もハッとするね
「どうしたの?」「なんで泣くの?」と、
すると娘は「Elvis has left the building」と、つぶやくんだよ
ダヴィッドは分からないけど
観客は悟るんだね
ちょっとウルウルくるね、これには、
物事には必ず「終わりが来る」と、
でも、それは、不意を突かれるほど唐突だったりすることもある
終わりがきたことを知ったとしても
「終わらないで欲しい」と願わずにはいられない
受け入れざるを得ないけど、受け入れたくないもの
それでも、そんな「終わり」に人生では度々出会うけど
進んで行くしかないんだよね、、、
最後に
お気に入りのブロガーhisaさんの一言「凄いというタイプの映画ではないが、思いもかけないゆるい直球をど真ん中に投げ込まれ、ストライクを取られた、そんな気分になる映画だった」
この言葉に
ニヤリと笑って、うなずいてしまうだろう、、、
3.5☺
窓際のシーン多数
その背景がパリらしく美しい