監督ジャックベッケル
主演シモーヌシニョレ
死んでもいいような
むしろ死んでくれた方が世の中のためになるような連中を殺した罪で
ギロチンで死刑となる男の話し
物語は
娼婦のマリー(シモーヌ・シニョレ)は、大工のマンダ(セルジュ・レジアニ)と出会い、恋に落ちる。マリーの恋人であるギャングのロラン(ウィリアム・サバティエ)は、カフェで親しくしているマリーとマンダの姿を見て嫉妬する。後日、酒場で決闘を繰り広げた末、マンダはロランを刺し殺してしまう。マリーとマンダは町を離れる。
田舎でマリーと平穏な日々を過ごしていたマンダは、親友のレイモン(レイモン・ビュシェール)がロラン殺害の容疑で逮捕されたことを知る。それは、マリーに好意を寄せるギャングの首領のルカ(クロード・ドーファン)が仕組んだ罠であるが、マンダは警察への自首を余儀なくされる。マリーの助力により護送車から脱走したマンダは、警察官たちの見守る中、ルカを射殺する。2件の殺人を犯した罪により、マンダに死刑の判決が下される。マリーは、断頭台にかけられるマンダの姿を無言で見つめるのであった。(Wikiより)
補足すると、
男が自首してしまったので、女は親分に男を救出してほしいと頼み込みに行く。親分は「助けてやってもいいが、その見返りが欲しい」と言い、女を抱く。ところが親分は動こうとはしない、「どうやって助けるのよ」と女が訊ねると、親分は「(男が搬送される)馬車でも襲うか」と言うが、「早くしてよ」の女の言葉に、「イヤだね」と答えるんだね。初めからこうなるように親分が女が欲しいがために仕組んだ罠だったのだ。
仕方なく女が男を救出に向かう。そして、すべて親分が仕組んだ罠だと告げる。怒りに震える男。ついに親分を追いつめ銃を向けるのだ、、、
これに対して
この映画を見た三島由紀夫は、導入部のシーンから、親分ルカの家あたりまでの巧みな描写を「人を酔はせる」と讃美し、「軟調のよい効果」を出しているカメラワークや、役者たちの演技を高評価しながらも、後半の演出については以下のような辛口のコメントをしている。(Wikiより抜粋)
そのコメントとは
ベッケル監督は通俗的なヤマ場を作り、迫力を出したつもりでゐて、さういふところはかへつて甘いし、まづい。この映画も後半の累積は単調で、ラストにいたつて、折角暁闇に光る断頭台の刃に詩情を見せながら、死刑囚の引張られてくるところを撮つたり、女があひそめのダンスを思ひ出したりするところで終りにしてゐるのは、甘つたるい蛇足といふべきである。— 三島由紀夫「現代のスネる――『肉体の冠』を見て」(以上、Wikiより抜粋)
褒めて、貶す、三島由紀夫
しかし、ボクはラストの甘ったるいダンスシーンに涙したね
ラストの幻影は女のイメージ
これは男ではなく、むしろ女の映画だからね
バカで、ズルイく、荒々しい野郎どもに対して
甘く切ない女の目線で描いている映画と思うので
男である三島由紀夫が「甘ったるい」と言葉を寄せる類のものではないのだ
それは逆に、
例えば女たちが<仁義なき戦い>を見て
「野蛮で暴力的」と非難するのと同じこととなってしまうのだよ、、、